一人で考えても解決しないことは既存の知識で突破口を見つける
解決すべき課題や問題に対峙する時、もちろん自分自身で考え抜くことは大切です。
しかし、あなたが本当に望むのはそれを解決することです。
自分で考えても解決できない難題は、先人や他人、既存の知識から学び、それを活かすことで解決することが必要になります。
今回は、論語からこの先人から学ぶという要素を3つの論語の教えから吸収していきましょう。
学ぶに如かざるなり
論語には以下の一文があります。
子の曰く、吾れ嘗(かつ)て終日食(く)らわず、終夜寝(い)ねず、以て思う。
益(えき)なし。学ぶに如(し)かざるなり。
現代訳としては、
孔子がおっしゃった。
「私はかつて、何も食べず、夜も寝ずに思索しつづけたことがあった。
しかし、それは無駄だった。やはり、書物や先人たちから学ぶことに及びはしないのだ。」
この教えについて学んでいきましょう。
学びとはスピードの獲得である
では、なぜ学びが必要なのでしょうか。
例えば、フグを皆さんは食べますか?
美味しいですよね。
フグには毒があります。
先人たちは、フグを食べる時に、最初から調理法を知っていたわけではありません。
A「丸ごと食べよう!(召される)」
B「Aはきっと皮を食べたから召されたんだ。皮以外を食べよう!(召される)」
C「Bは皮だけ除いたから召されたんだ。皮と内臓以外を食べよう!(召される)」
・
(数年後)
・
Z「先人たちのおかげで、身・皮・白子が食べられるとわかった!(生存)」
昔の人達はこういった先人の失敗体験を経て、ノウハウや知識を蓄積していきました。
皆さんはこれからフグを食べる時に、自分でその調理法を編み出そうと思いますか?
当然思いませんよね。
それは、毒を食べたくないという気持ちも当然ありますが、これを仕事に置き換えると、
「成功する為のスピードを手に入れる」
ということとも言えます。
物理法則や真理・知恵、同じ間違いを犯さない為の経験は学ぶのが一番だということです。
でもさ、2人目とか3人目って、なんでフグ食べたんだろうね。
え!?
「フグを食べたら天に召される」って学びを得たらさ、もう食べなくて良くない?
・・・。お腹が空き過ぎてそれしか食べれなかったんじゃないですかね?
いやいやいや、フグが釣れる場所なら他の魚いっぱい釣れるから!フグ釣る方が難しいから!
自分で例えておいて何言ってるのこの人
自分だけで悩み考えるだけなのは美徳にはならない
他人から学ぶ、他人に教えて貰うことをせずに自分で考え抜くことに美学を感じる人もいるでしょうか。
しかしそれは本当の意味での学びを理解していないと言えます。
学ぶこと、考えることの違いを理解していないとも言い換えられます。
もう一つ、論語の一説を紹介していきましょう。
学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)
現代語訳としては、
学ぶだけではなく、自分の頭で考えなければ真理は悟れないし、
自分の頭だけで考えて、学ぶことを忘れるとそれも危険なのである。
既存の知識や先人から学ぶことも重要
自分で考え抜くことも重要
しかし一番大切なのは、どちらか片方に偏るのではなく自分自身が2つともを兼ね備える行動を起こせるかどうかなのですね。
学びの最上級は「会得」
ここまでは、学びの重要性、考え抜くこと。2つを兼ね備えることについて紹介しました。
最後は、学びの最上級について論語から紹介していきましょう。
子の曰く、学は及ばざるが如くするも、猶(な)ほ之を失(うしな)はんことを恐る
子夏(しか)が曰わく、日々に其の亡(な)き所を知り、月々に其の能(よ)くする所を忘るること無し。学を好むと謂(い)うべきのみ。
現代訳としては、
孔子はおっしゃった。
「自分の学びが足りないことを心配するのではなく、学んだことを忘れることを恐れるべきである」
子夏が言った。
「月日と共に新しい知識を吸収し、同時に学んだことを忘れなければ学問を好んでいると言えるだろう」
人は忘れる生き物です。
この論語の教えは、忘れないことを大きなポイントとしているが、
これは記憶に残しておくことを言っているわけではないのです。
得た学びを自分のものにして体現するということが重要です。
頭で記憶するだけに留まらず、その本質的な教えを考えや行動で表現できる。まさに会得というレベルまで達成させることが出来れば、学びを最上級まで昇華させたと言っても良いのでしょう。
論語読みの論語知らず
論語読みの論語知らずという言葉があるように、本質的に理解しているかは記憶しているかどうかではありません。
本質的な学びを自分のものにし、それを転用したり、応用することを実践していきたいですね。
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