責任重大な仕事は試練を乗り越えられる人にしか任されない
責任重大な仕事
「こんな仕事をやり切れるだろうか」
「なぜこんなにも問題や課題ばかりでキツイのだろう」
と、責任重大な仕事を任されると、大変な思いをしたり苦労をしたりする事があります。
今回は、そういった方に向けた心構えとして、中国古典の「孟子」の中から、励ましの為の教えを紹介していきたいと思います。
孟子の教え
天のまさに大任をこの人に降さん
孟子の中では、大任=大きな仕事を与えられるということを以下のように表現しています。
天のまさに大任をこの人に降さんとするや、
必ず先ずその心志を苦しめ、
その筋骨を労し、その体膚を餓えしめ、
その身を空乏にし、
行うこと
その為さんとする所に払乱せしむ。
心を動かし、性を忍ばせ、
その能くせざる所を曾益せしむる所以なり。
孟子 告子編
現代訳としては
天が、その人に重大な仕事を与えようとする場合には、
必ずまず精神的にも肉体的にも苦しみを与え、
その筋骨を疲れさせ、窮乏の境遇におき、
その行動を何事も思い通りにならないようにし、
わざわざその人に試練を与えるものなのである。
それは、天がその人の心を鍛え、
忍耐力を増大させ、
重大な仕事を負わせるに足る人物に育てようとしている、
そんな証拠だということ。
人が大きく成長をするタイミング
では、人が大きく成長するタイミングやキッカケはどのようなものがあるでしょうか。
いくつか紹介していきましょう。
逆境に置かれた時の立ち振る舞いが前向き
同じような大きな責任を伴う仕事、
自分の現在の位置より上の仕事に登用された際にどのように振る舞えるか、
及び腰になるのか、前向きにチャレンジするのか、
問題から逃げるのか、対峙するのか。
そういった逆境に置かれた時の立ち振る舞い次第で、人は大きく成長をします。
成長は経験の積み重ねで、知識が見識に、そして胆識としての発揮に繋がっていくのですね。
人に教えた時
後輩や部下が出来た時に人は大きく成長することがあります。
これは二つの側面があります。
一つは
学びの最大化はアウトプットと人に教えた時という事と、人に教える側になった場合にその物事を俯瞰でみて全体の場所と深さが整理されるという事です。
失敗と正面から向き合って行動した時
失敗の経験を振り返り、次に活かす行動が出来るかどうかが成長に大きく関係すると言えます。
成功している状態や人とのギャップを認識出来るかです。
それを糧、または発奮材料にして具体的な行動に起こすかで成長する人、しない人の差が現れます。
失敗した場合にそこから目を逸らしてしまう、他責で済ませてしまう場合には成長が望めません。
重大な仕事は元々平等に与えられるようになっている
成長するタイミングを改めて考えてみると、実は重要な仕事や試練は、元々平等に与えられる可能性があるという仮説が成り立ちます。
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特にこの失敗しそうな場合でも逃げずに対峙しやり切る人というのが重要ですね。
逃げる可能性がある人にはチャレンジさせたくないですし。
あとは、絶対出来ないのに気合いだけで「やります!」って宣言しちゃう無鉄砲にも任せられないけどね。
あたしはそういう子、キライじゃないけどね。
退く決断も重要
失敗しそうな場合でも歩みを止めずに成功にこだわるのも重要ですが、時には退く決断が出来ることも重要です。
事業や投資などもそうですが、損切りのタイミングを誤ると大きな損失につながる可能性もあります。
ですが、これには勇気が必要です。
しかし、ここでの勇気は全体最適を考えた場合の素早い判断のことなので、決して試練を与えられた時の逃げる言い訳にするとはまったく次元の違うものだということです。
また、時にはパワハラ上司との関係、職場の嫌がらせやイジメなど、対人関係が負担になる場合がありますが。
これは成長する為の試練ではないので、さっさとチクって排除するか、別の場所に向かえばよいですね。
たまに、「俺のシゴキに耐えられるやつは少ない」「壊れないように手加減するのが大変」なんてドヤ顔する人がいますね。
たしかにいますね。老害みたいな人。
無視するか飲み会で靴を隠せばいいんだよ。
靴の件は陰湿!
試練を乗り越えると実績と自信になる
試練を乗り越えるとその人の実績と自信になります。
そうすると実績面で周囲からは更に新しい重要な仕事を任せたいという好循環が生まれて、またチャレンジして成長するという好サイクルが生まれます。
そして自信が身に付くと、次のチャレンジでもなんとかやり切れるのではないかという心の拠り所が出来ますね。
肉体的にも精神的にも苦しい状態、当事者でその時には辛いと感じると思いますが、超えられる試練が与えられていると信じて前進したいですね。
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