学びを疎かにするとすべてが台無しになる(論語に学ぶ)
仁、知恵、勇気、信義、強剛な人
仁がある人、知恵を発揮できる人、勇気をもって立ち向かえる人、信義を重んずる人、強剛な人、これらを持っている人と聞くと、人として信頼出来る感じがしますね。
しかし、今回はそれらの要素を持っていても、ただ一つ「学びを疎かにする」だけですべてが成り立たなくなるという教訓について勉強したいと思います。
勇気があっても学びを疎かにすると
学びは大事と言っても生徒の諸君が聞いてくれないんですよ
そうねー。自分の身で体感しないと腹落ちはしないものね。
例えば私がROOKIESのなんちゃら先生で不良たちを指導するんだったら「いくら勇気があっても、相手のチームや戦術を学ばずに挑んでも勝てないだろ!」って言えるんですが、なにせうちのクラス、普通に言い子達しかいないんで…。
実際、問題児がウヨウヨいるクラスって現実的に少ないものね。
六言六蔽とは(陽貨第十七)
論語の教えには、このようなものがあります。
子曰わく、由(ゆう)や、女、六言六蔽(りくげんりくへい)を聞ける乎。對(こた)えて曰わく、未だし。居れ、吾れ女に語げん。仁を好みて学を好まざれば、其の蔽(へい)や愚。知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩(とう)。信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊(ぞく)。直を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞(こう)。勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱。剛を好みて学を好まさせれば、其の蔽や狂。
現代語訳としては、
孔子がおっしゃられた。
「由、君は六言六蔽を聞いたことがありますか?」。
(子路は)答えて言った。
「ありません。」。
「座りなさい。私があなたに話してあげます。
仁を好んでも学問を疎かにすれば、弊害として愚かになる。
知を好んでも学問を疎かにすれば、弊害としてとりとめが無くなる。
信義に厚くても学問を疎かにすれば、弊害として相手を傷つける。
如何にまっすぐでも学問を疎かにすれば、弊害として窮屈となる。
勇気があっても学問を疎かにすれば、弊害として乱暴となる。
強剛を誇っても学問を疎かにすれば、弊害として狂気となる。
数多く存在する弊害
仁、知、信、直、勇、強、どれを備えていたとしても、それを活かす為の学びや工夫が無ければ、それぞれの弊害を引き起こしてしまうと論語では伝えているんですね。
知識よりも知恵の学び
学びを活かすのは、知識を披露するということではなく、得た知識から応用して知恵に転換するということです。
課題や目標に対峙する場合、教科書通りの手順でうまくいくことは多くはありません。
知恵を発揮する為に体系だった知識を習得し、その引き出しの多さを利用して知恵化していきましょう。
知恵に転換する為に、まずは沢山のインプットを生徒たちに与えられればと思うんですよ。それが教師としての職務ですから。
そうね。じゃあ銀七先生はやりたいことがやれていていいじゃない
そうかもしれないですけど、うちの生徒は結構マジメなんで、事前に塾で勉強してきちゃうんですよ。
本家みたいなドラマチックさの無さ!
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